人生における選択肢。

『もしも、あの時、“こちら”ではなくて“あちら”の道を選んでいたならば、結果

は、違っていたのではないだろうか・・・?』・・・人生の数々の局面においてした

選択を、その様に後になって考える事が、度々あった。無論、後にあれこれ

考えても、過ぎ去った過去を、変える事など出来ないのだが・・・。その時には

、最良の選択をした積もりでも、やはり私も一介の人間にしか過ぎないのだから

、『過去を振り返る=後悔する』事も多々あるのは、否定出来ない事実だ。

しかし、その様な行為をしても、何等、“現在”や、“近い将来”に、生産的な

思考をもたらしてくれない事も、私なりに理解はしている(積もりだが、笑)。

まあ、もうそう長い訳ではないが、私の“未来”に付いても、私は私なりに

“予想図”は持ってはいる。だが、私はその“予想図=構想図”に、他人(ひと)

を巻き込んで良いモノか?と言う疑問が、特に最近ずっと頭の中で渦巻いて

いる・・・何故ならば、“私の幸福感=他人の幸福感”、または、現実の幸福に

、直結するのか?・・・と、考えるからだ。今“現在”は、良いだろう・・・しかし、

今後、私が、10年、20年・・・と、生きる、と仮定した場合に、果たして、本当に

他人を、私の“未来予想図”に、組み込んでしまっても良いのだろうか?私が

この先、痴呆症や、アルツハイマー症候群になってしまった場合に、他人に

対して、私は、私自身の意思で“責任”を取る事が出来なくなる可能性も、

充分にある事も、考えておかなければいけないと想う・・・。哀しく、切ない事

だが、私は、『老いて行く恐怖』を、最近、特に感じる様になって来た。

その現実を、受け入れなければいけない年齢まで、生きてしまった・・・。

だがそれは、決して、“負の思考”と言う消極的なモノではなくて、“現実を

受け入れる”と言う、積極的な思考である事を、ご理解頂きたい。そして、

生き続ける限りは、やがてやって来る『老い』に付いて、備えをして

おきたいモノだ。気持ちは、18歳で止まったままだが(笑)・・・『光陰矢の

如し』・・・今更ながら、痛感している・・・。しかし、私の現在(いま)からの

人生・・・『天より与えられし命』・・・使い込んで行けば、必ずや良い味が

出て来るモノと信じて、生きて行きたい・・・。

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