一部の方からのプレッシャーはあるものの、後編のスタートです(もうそうになるか?真面目に終わるかは、左手の親指に聞いてください)
前編では岐阜の叔父にこっぴどく怒られた所まで書きました。その後、「もう二十歳だし責任は自分で取ります」、「家賃は自分でバイトします」、「授業も真面目にでます」と(あることないことをいい)なんとか叔父の許可をえました
そして、昭和59年の秋休みに大学の近くにあるアパート(喜楽荘)に引っ越しました。なんとなくのびたらしい名前が気にいりました(今では立派なワンルームマンションに変身してました)
その後の生活はご想像にお任せするとして…(あんなこといいなできたらいいなみたいな生活をすごし)いよいよ就活の時期に突入!
東京に帰るか?名古屋に残るか?あまり深く考えずに(四年前と全く変わっていない)某信託銀行の大学OBを訪問
最初に「信託制度」を質問した所、烈火のごとく怒られました「大学四年のくせに訪問する会社の調査もしないとは何事だ。お前みたいな奴は就職を舐めてる。こっちも忙しいんだ、さっさと帰れ」といいつつ約30分解放してもらえず、コテンパンに怒られました。人生で二番目に怒られた夜でした
今、思えば、初対面でそこまで言うのは、別に理由(のびたを思ってか?単に上司に怒られて機嫌が悪かったか?)があったのかもしれませんが、いたいけな「のびた青年」はえらく傷つき、すっかり自信を失いました(と、いうほど勉強していたわけではありませんが……)
当時はインターネットは無く、情報収集にも限界があり、○クルート社からの本だけが頼りでした。が、その後各種銀行もダメ、名古屋市役所もダメ、と連敗が続きました。最後にサークルの先輩がいたある生保に受かりました(後で聞いたら、学生同士で打ち合わせをさせ、司会と書記が「合格」だったそうです、のびたは、たまたまノートを持っていたのでラッキーでした)
そして、国鉄がJRになる最後の日(昭和62年3月31日)に名古屋駅から新幹線に乗り、四年振りに東京に戻りました。
その後は相変わらず叱られながらもなんとか25年目の会社生活を送っています
と、いうことで、人間「七転び八起き」というか、まぁ怒られつつもなんとかなるもんだというお話でした(^^;)
あ、「オチ」や「妄想」を期待していた方、大変失礼しました。ま、就職試験にオチまくったということで勘弁してください。え、許せない?
今夜は、人生で三番目に怒られた夜になるのかしら(^^;)
コメント
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こんばんは。
分かりました、ではご期待にお答えして…
のびたさん、そんなオチでは許されませんよ
あってないようなものです
全く、何事ですか
それでものびたさんですか
…あ、すいません
全て冗談です(笑)
結局、最後までなりきれない小心者です…
さてさて、真面目モードに戻りますが、ためになるお話でしたよ
人生、平地ばかりじゃつまらないですからね
やっぱり山あり谷ありが人生です
裕紀
2011年10月17日
こんばんは。
オチた、とはいえ、今は、飛ぶ鳥をオトす、MYでしょうか・・・
現在は、お客様の声にオトなしく耳を傾け、オトナの対応をされて、オトメに囲まれ、オチついた生活を謳歌しているオトうさん、ということで、よろしいでしょうか
秋の夜長・・・ラーメンふりかけのオチちゃ漬けでも食べて、ぐっすり眠りにオチて下さいね
オットット・・・これで、オチましたかね・・・
タンマ
2011年10月17日
一つの仕事をずっと続けてるんでね。
偉い!
私なんか、何度、転職した事か。。。