3.11

去年の今日
家から20kmと離れていない幕張では大規模な液状化が発生。
石油コンビナートは爆発、炎上。
停電と断水で、地域の家々の灯はもちろん信号までも光を失い
蛇口は井戸が枯れたように水が出なかった。
幸い、自宅兼医院のうちに必要な電力は
発電機で賄えたから、患者さんへの影響はなかった。
医院を早じまいして、家族全員が集まってテレビの画面を見た。
どのチャンネルも一様に太平洋沿岸が赤く示された日本地図を映し出していた。
上空から映し出された津波の押し寄せる様子に背筋が凍り、言葉が出なかった。
友人に電話しようとしても回線はパンクしているし
メールも上手く送れない。
絶え間ない余震もあり、揺れていない時でさえ地震だと錯覚する事もあった。
日を追うごとに、メディアも詳細な情報を伝えられるようになる
枝野官房長官が昼夜を問わず画面に現れ、原発の対応や計画停電について説明されていた。
海外からも支援の手は差し出され、救助活動が大きく進んだ。
それにもかかわらず、新聞の欄では
死者、行方不明者数が増えていく。



------あれから一年。
日本は完全ではないけれど、元気を取り戻したように思う。
もちろん、心に負った傷は消える事はないし癒える事もないかもしれない。
でも、その傷を埋めて行く事は出来るはず。
そして今、生きているこの現実は少し前まで当り前のようだった。
あの日以来、生きている事がどんなに幸せで、命がどんなに儚いかを毎日のように感じている。
だからこそ、これからも人とのつながりを大切にしたい。
これからもよろしく。
ブンゾー

コメント

ブンゾーさん、おはおうございます♪



去年の、3・11…忘れたいほど、悲惨な大震災でしたが…

しかし、忘れ去ってはいけない、多くの教訓を残して

行きました…先人の知恵を、無視して、リアス式海岸の

傍にまで、住居を構えてしまったこと、津波の恐ろしさを

甘く観てしまったこと、無計画に、原発を作ってしまったこと…

などなど…今回の大震災で、得ることも、沢山ありました…

その恐怖を、我々、生き残った者は、後世に、シッカリと

伝えて行く、義務がある…と、私は、考えます。


大自然の猛威の前に、たかが、人間の想定などと言うものは、

何の役にも立たないことも…。


改めまして、今回の東日本大震災で、被災された方々や、

犠牲者の方々には、お悔みを申し上げます。


                               鎮魂。

ゆいか 2012年04月07日

soさんも 家人が東北に居て 被災したよ。

昨夏は 豪雨災害復旧対策で be amie 4ケ月お休み。



この3月11日は  この話題

テレビを見るのも  あえて避けたよ。


ブンさんが こうして日記書いてくれているので

改めて コメント出来るね。  考えてる顔


最近  Facebook 始めました。

外国人旅行者減少対策とか

まっ そんなことから 出来ることやってます。


ブンさんも  見聞拡げてね   あっかんべー

so 2012年03月24日

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