向田邦子さんの「時間」についての文章を読んでいた。



時を時計が刻むせわしないものではなく



大きな河の流れに似たゆったりと流れてゆくものととらえてみては。



そんなこととが書かれていた。



僕も もうこれまでの体験から僕の生の果実を紡ぎ出さねばいけない



人生の折り返し地点を過ぎてしまっているから



一生の単位で時を考える



という向田さんの文章は身につまされるものがある。



こんな風に



時を見る目が変化するのがいつからなのかわからないが



生きていれば



こんな目の前のことに一喜一憂して後先も考えていないような世界だけれども



自分という命の行く先に思いを馳せられるようになるのだろう。



押し寄せる「今」に呑み込まれないためにも



大きな河の流れのリズムを心に宿らせたい。

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