敬語

今に始まった話ではなく、昔から言われ続けていることなのですが。

言葉遣い、乱れがあるようですね。
所謂「ら抜き言葉」、「さ入れ言葉」等は氷山の一角です。

標準語での言葉の決まり、つまり文法については、
全ての人が学ぶ内容(中学校で学ぶものですから。)です。
(ごく限られた例外は、無論有りますが。)
この文法は、
「既に学んだ人であるならば」、
特に公式の場では、守るべき。
それが私の基本的な考えです
(ただここで言う、「公式」の定義は難しいとは考えますが。)。

ですが、今まさに文法を学んでいらっしゃる方も、
こちらには大勢いらっしゃいます。
そういった方にまで、目くじらを立てて、
「正しい言葉遣いを。」
といちいち指摘すること、
それは私は、余りしないようにしています。

今まさに勉強しているところなのだから、
ある程度、知識が固まったら守れるようになればいい。

そして、タイトルの、「敬語」。
私は色々な方にコメントをつけさせて頂いています。
ある程度、客観的に自分のコメントを評価すると、一言。


「わざとらしい言葉遣い、敬語。」


と言えると思います。

これについては私は、ある考えに基づいています。
それについては、私の中にしまっておきたい考えなので、
ここで書くことは控えさせて下さい。

ただ、敬語を用いなくてはならない場面、
敬語を用いなくとも咎められない場面。
私の経験では、判断が難しい、という場面が多い。

基本的には、自分よりも年長の方、
あるいは目上の方に対しては用いるべきでしょう。
しかし。
私の言葉遣いは、非常に、「固い」。
それに加えて敬語を用いる、ということになると、
どういう結果に繋がるか。

精神的に、非常に距離を取られている、
そういう印象を与えてしまいます。
実際私は、
「そんなに敬語使わなくていいよ。」
と言われた事があり、それも一度や二度の話ではありません。

でもなかなか、変えられないものなんですね。

人、というのは基本的に積み重ねの生き物です。
今現在の考えは、それまでの経験、
そしてそれを自分なりの考えで消化する、
あるいは、他の方との話で経験、それによって形成された考えを話す事、
そして他の方の意見を聞き、考えが変わることもあるでしょうが、
それも含めて、積み重ねによって今の考えはできている。
私はそう考えています。

そして、基本的に人の行動は、その自分の考えに基づいているでしょう。
ですから、いきなり変えることは、難しいのです。

私について言えば、基本的にここでのコミュニケーションは、
敬語を用いることにしています。
敬語を用いた方が「無難だと考えている。」
と表現した方が近いかもしれません。

でも、他の方について、どうこう言うつもりはありません。
その方にはその方それぞれの考えがあり、
それに基づいているのでしょうから。

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