「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて
早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。
胸すわって進むなり。図に当たらぬは犬死などという事は
上方風の打ち上がりたる武士なるべし。我々、生くる方がすきなり。
多分すきの方に理が付くべし。もし図にはづれて生きたらば、
腰抜けなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違なり。
恥にはならず。これが武士の丈夫なり。」
山本 常朝 「葉隠」
「武士たるものは武勇に大高慢をなし、死狂いの覚悟が肝要なり」
コメント
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こんばんは。
『葉隠』、私の好きな時代です。
これを語り出すと長くなりそう(笑)、なるべく短文を意識しながらコメントをします。
先日私が更新した日記の中でも、名前が挙がっていた「新戸渡稲造」の武士道。
これにも共通する一節があるのだけれども
『武士はいかに生きるかと同時に、いかに死すべきかを考える』。
要するに『生き死にを乗り越えた思想』ってことなんですよね…。
人間は、もともとネガティブな性質を持っているから、何か行動するにあたり
事前に言い訳を用意してから事を為し始めるもの。
武士とて、人間であるわけだから、死の選択は怖いに決まっているのだけれども、
『怖い』がために、為すべき事(戦う事)が為せなくなってしまうのは武士ではない、と。
おおよそ死の選択をすることによって、死を乗り越える精神が養われていった
…ってことなんですね。(←なんか解説してるし。)
現代の教育の場で、こんな話をすると「命を粗末にしている」とも言われかねないんだけれど
現代の言葉に変換するなら『楽な方を選ぶな!』とか、『厳しい道を敢えて進め!』ってことになるのかな…。
苦しくても為すべきことは、必ず成し遂げる意志。
武士道の思考を養っていくと、人生において、行き詰まった時にどうすればいいのかが見えてくるというか。
物事が行き詰まることの原因に、嫌なことをやらなきゃ進めないってことがあるのだけれども
葉隠の思想(侍魂)を持ってすれば『困難を迎え撃つことができる』ってことです…よね。(笑)
私も遠い昔…父親から『死ぬ気でやれば何でもできる』なんて言われたことがあるのだけれど…
それが、その精神に近いものなのかな…と思います。情熱ともいえるのかもしれないですね。
しかし、語訳は容易くできても、人生に反映させることは難しいです…。
やっぱり長くなってしまいました、ごめんなさい。
サクラ さん
いつもコメントありがとうございます。。。
いつもこんな風にサクラさんの
マイアミーさんの所へご訪問されているのですか?
すごい!俺には出来ないです^^
今回は心に残る一文でした^^
まだまだ長くなっても良いですよ!
なんなら3日間くらいに渡って綴っていただいても。。。^^
「命を懸ける」
今の時代ではなかなか同じようには出来ないですが、
「一生懸命」の本当の意味みたいなものですかね^^
俺の周りでも同年代が病気や事故、それから自ら命をたった人・・・
などで亡くなって行った人がいます。。。
もう一度・・・「必死」「一生懸命」に生き抜く・・・って事を
考えている今日この頃でした^^
今回・前回の日記はそんな感じです。。。
これからの俺・・・
サクラさんも必死に、そして一生懸命に恋して下さいね!
「もう何が起こってもいいのよ!構わないわ!」
やがて、この命に代えても守るものが誕生しますよーー^^