日付が変わってしまったので一応昨日になるかな…
昨日の仕事終わり、ある人と話をしていました。
その中で感じたことを。
誰しも、自分にとって大切な人がいる。
でも、大事なのは…相手にどう思われているかではなく、自分がどう思っているか。
例え相手が自分のことを何とも思っていなくても、例え相手から嫌われていようとも…
自分がその人を『大切』と思っているなら、その人は間違いなく『大切な人』。
だから、例え振り向いてもらえなかったとしても、注いだ愛に気付いてすら貰えなかったとしても…
大切な人を守りたい、大切な人へ…ありったけの愛を注いでいきたい。
そう思いました。
それがきっと、本当の意味での無償の愛なんだと思うから…
相手に何かを求めれば、それは歪んだ愛になってしまい…何も返って来なければ、それは不満になり、いずれ憎しみや恨みに変わってしまう。
相手が自分をどう思っているかも大事かもしれないけど…
自分が大切な人に何をしてあげたいか、その気持ちが大事なんだと思った。
相手が嫌がったり、迷惑するようなことはいけないけど…
大切な人を絶対に守りたい、それが自分の気持ちだと気付いた。
だから…
『永遠』なんて言わないよ。
だけど、あなたへの気持ちが醒めぬ限り、いつまでもずっと愛しています。
コメント
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サクラさん
こんにちは。
再コメントありがとうございます(^-^)
そうですね、確かにサクラさんの言葉が私に大きく影響していることは自分でも自覚しています。
でも、そこに責任を感じたりしないで下さい。
私はサクラさんのお陰で人間的に成長できたと思っています。
そのことは本当に感謝していますし、変われたことを後悔したことは一度もありません。
むしろサクラさんがいなければ、今頃私の愛は歪んだものになっていたと思います。
サクラさんから授かったことは自分の責任で吸収し、自分の責任で消化していきます。
でも、『自分』を無くしてしまわないよう…それだけは、ちゃんとしていきますね(^-^)
いつもありがとうございます(^_-)
サクラさん
こんばんは。
コメントありがとうございます。
そうですね…
きっと嘘や強がりを言った所で見抜かれてしまうでしょうから…
この際ですし、正直に話しますね(^-^)
まずは昨日…
コミュニティの方、コメント出来ずに、いえ…コメントせず申し訳ありませんでした。
サクラさんの問いに、すぐには答えられず思い悩んでいました。
そうですね…
正直、今それがあったら自己犠牲を感じずに相手の愛を尊重することはできると思います。
でも、私はきっと苦しみ思い詰めると思います…
では、ここで一旦話を変えますね。
今現在、私は小説家という夢に向け、がむしゃらになっています。
それはなぜか。
勿論1つは、純粋に夢を叶えるためです。
でも私には、もう1つの理由があります。
私が苦しみ思い詰めたら、きっと彼女に感じる必要のない罪悪感を与えることになるはずです。
ただ、私だってそんな罪悪感を与えたい訳じゃありません。
むしろ与えたくないです。
以前は、彼女が私の愛を受け入れてくれることを願っていました。
今でも、もし彼女が私のことを好きだと言ってくれたら、それはこの上なく嬉しいのは変わっていません。
でも…
そんなことに期待するのは、もう辞めました。
私が小説家という夢にがむしゃらなもう1つの理由…
それは、いずれ来るであろうサクラさんの言うそれが起こった時に素直に彼女の愛を尊重してあげるため…
それができるようになるために、強くなりたいからです。
私が苦しまないため、私が彼女に迷惑をかけたくないから…
彼女のためでもなく、そして当然サクラさんのためでもなく、自分のために強くなろうと思っています。
望まぬ現実を目の前にしても、苦しまず受け入れられるように…
彼女への想いは、前以上に深いものだけれど(笑)
でも本当は、彼女のことはとうに諦めてるんです。
期待することで苦しまなければいけないと分かったから、期待しなければ苦しまずに済むと分かったから…
だから、大丈夫ですよ(^-^)
今ならちゃんと乗り越えてみせるから、未来なら乗り越えられる強い自分になっているから。
それが、サクラさんの質問への私の答えです。
ちゃんと答えになっていますでしょうか?
堅い話になって、すいません(^_^;)
善太郎さん
こんばんは。
コメントありがとうございます(^-^)
そうですね、守りたい人や守りたい物の存在が、時に勇気や力をくれたり…
そういう存在があることはとても良いことですよね。
はい、いつもありがとうございます。
お互い頑張りましょうね。
こんにちは。
無償の愛、ですか……。
愛って、言葉でその意味を伝えようとすれば、ホントに難しいですね…。
愛することに決意も要らないし、勇気も要らないし、ごく当たり前の本能みたいなもので。
ただ、難しいのは、相手が自分の愛を必要としていない時。
そうなってくると『ありったけの愛』も『絶対守りたい気持ち』も
どんな決意も信念も、自分の中で消化せざる得なくなる。
愛には純粋な面とエゴイスティックな面、両面があること…
自分が相手を大切な人だと想うこと、と同様に
相手にも大切な人が居たのだとしたら…
裕紀さんは、その自分の愛を押し殺し、相手の持っている愛(自分以外の人に向けられる愛)を
尊重してあげられるかな…?
自分が苦しむこともなく、自己犠牲の意識を持つことなく…
それは、自然な事のように、自由にしてあげられますか…?
ちょっと難しい話になったね。(笑)
こんにちは。なるほど確かにそうですね。どんなことも行き過ぎはだめですが守る人がいるから強くなれるしまた、前を向いて頑張ることができますよね。これからもお互い頑張りましょう。
よねパパさん
こんばんは。
ありがとうございます
了解しました
また何かありましたらお言葉に甘えて…
お力添えを頂きますのでこちらこそ宜しくお願い致します
わざわざありがとうございました