let it be

今世間で話題なのはあの曲ですが(僕も好きです)let it goではなくlet it be です。













といえばビートルズのあの曲ですが、英語を中学で習いたてのころぐらいにテレビでかかっていて、一緒にいた父に「そういえばlet it beってどういう意味なん?」と聞くと「あるがままに」とだけ答えました。もっと良い訳し方あるかも知れませんが、レリゴーもありのままの~と歌っていますね。父に英単語の質問をするともっと使わないスラングみたいなんも絶対知っていて、アメリカにいたとはいえただもんじゃないんかな…と思います。普段はパンツとシャツでうろうろしてるし僕の能力とかの証明とかのつもりでもないんでそれはこぼれ話として。














誰にもできないこと、人がびっくりするようなこと、やってみたいな、と思います。けど、自分が成長したり成長したつもりでいても、世の中にはもっと凄い人がいくらでもいる、と思いまたふりだし。世界を広げようとはしているからそれもわかる。けど、世界を広げるたび世界は広がっていく。海の向こうへ泳いでいこうとしても1日じゃ何も見えないのと一緒かな。浜からなら水平線が確かに見えるのに。










僕は小説が好きです。知らなかった人もいると思いますが、創作も地道にやってます。というのは大袈裟にもほどがあって、本は好きな方だったけど、ちょうど去年の夏休み本棚の本を何年間もぶりに読んで、意味もわからずにこれを続けてみよう、と思ってそれ以外やることがないのでノートに文章を書き出してみて、それが始まりです。最初の方は読書ともどもムラがあったりして、今が100ページくらいになっています。遅いと思います。遅いし、最初だからゆっくり書こうとかページ数さえだいたい最終的にわかってるからいくつかある賞にとりあえず出そう、と思ってきりのいいとこを探してる、とか色々ありますが、それはいいです。書いてると最初の方はこれ凄いな、までは思いませんが形にはなってるやろ、と思いこんで見直していました。バーっと古典とかにわかかじりで読み出して、やっと50冊弱書きながら他の作品を読んだところで「文章が変わってきたな」とか思っていました。自分の好きな作品ばかり手にとっているからでしょうか。僕の好きな作品は、古典から近代中心のありていにいえば純文学的な要素。ストーリーなどの刺激やエンターテインメント性で読ませるのではなく、それよりは人間的な心の動きや自然体の描写、あるいは文体で読ませるもの、というのが簡単な僕のできる説明です。それらを取り込んで僕独自のもの…が出来てるつもりでした。そういうものしか知らないから、それっぽく出来てるつもりというか、そういう風に見えてくるのです。








キリスト教のことについて、といっても風景中心の、描写があり、筆を止めてキリスト教の本や美術にもう少し触れよう、と思い良さそうな本をできるだけ探して読んでいました。それと平行して他の作品も読んでいって、趣向を変えて気分転換にいくつか読んでいた現代作家の方々の作品を読んではっとしました。






読んだのは村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、「海辺のカフカ」、辻仁成さんの「オキーフの追憶 オズワルドの恋人」、あとは古典近代ものだったのですが、この二作家で今の自分を痛感するには十分でした。哲学の散りばめ方、描写、語彙、なにより非日常を扱いながら日常を詳しく描写し、見て、分かるようなストーリーの練りかた、筆力。自分の書いているものが平易なのもあって、これがまさに現代の文学の描けるところだ、と思いました。後に自分の作品を見てみると、平易もだし、それはそれぞれとしても描写力、文体、なによりストーリーがアマチュアどころか素人だと思いました。それでも、僕の取るに足らない文章の良いところさえ描きだしてくれたこの二作家の作品、それよりはるかに深い課題をつきつけてくれた作品、小説でこんなことも描けるんだよ、と教えてくれた。これがプロ、ということだと。結局自分はたぶんいつになっても人に世界を教えてもらう側なのだろう。とりあえず、はるか先に水平線に追い付くことを目指そう、何年かかってもいい、と思った。






自分に才能があるかは分からない。というより、ないと思う。自分の作品は繰り返し読んで、光るものを感じたり嫌になったりして、けど気に入っている。僕は好きだ。器用に書けてるほうだと思う。向いてるかもしれない。けど、目指すのがプロなら?…素人に毛が生えたての程度。その域を出ない。あまねく凝縮された才能が時間をかけて花開く世界、それぐらいはようやく今の俺でもわかった。

最初から才能のある人なんて、一握りどころかザルで救って砂粒だと思う。村上春樹さんなら処女作の「風の歌を聴け」。偉大な作品だ。僕のこの作品にはとうていない部分が圧倒的に多い。けど、その後の春樹さんの強烈なあまねくばかりの完成度の作品、誰が想像できるだろう。僕なんかバット振りたての野球少年だ。村上春樹さんはバットをよく持っていて、運動神経も僕より良くて野球を始めたのだろう。けど、いきなりプロの球を打って新人王になったような人やけど、いきなりメジャーでも通用するような今の春樹さんやったかといえば、それは違うと思う。新人王とってすぼんでいく選手、そっちのほうが多いくらい。テスト生で入ってきて、三冠王とった野村さんだっている。落合さんも学生野球は肌に合わなくて経験が少ない。やること極限までやれば、追い付き追い越すこともできなくはない。やる以上は、それなりに書けてそれなりにやっていけて、叶わないと思う人がいてあきらめながらくすぶってる、そういうのは嫌だと思う。いや、誰かに勝つというより、自分でやりきったと思う作品を書いて、それをわかってもらう人がいれば売り上げは負けても幸せだし、そういう作品を書けばわかってくれるというか、わかってくれるし読んだ人には何かが残る。僕はそういう作品を読んできて好きだから。やりきれば同じ作品はないから、読み比べて圧倒されてもひとつの部分では勝っている、というより違う魅力が絶対出るはず。そう信じてやっていく。まずは、今の作品をやりきる事。頭を動かすより、書いていけば不思議と良い描写が出たり話がまとまったり進んだりする。夢はでっかく、夢を見続けたいならやる事をやりきる事。燃えている。


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