前の日記に書いたプロデューサーとの出会いについて
当時、自分は映像業界にいながら自主映画を撮っていて、それらの作品群が結構色んな映画祭で賞をとって、業界からちょっとだけチヤホヤされていた
そしたら、とある映画監督に声をかけられ、その人の製作で劇映画監督デビューの話を持ち掛けられた
勿論、命懸けで取り組み、あらゆるものを犠牲にした(映画とはそういうもの、多くの時間と金と人を浪費する、生半可では出来ない)
そして結果は、監督降板
当時20代前半だった自分に、渡された脚本は30代・40代・50代の男女の三角関係を描いたコメディーだった
どんなに食らいついても、どんなに自分なりの意見を伝えても却下され、追い詰められ、ついには心労でダウン、おまけに椎間板ヘルニアを発症、心身共に堪えられないと思い自ら辞退を申し出た
詳細は省くが、立ち上がるのにかなりの年月がかかった
そして自分が降板を決めた時、それまで一緒に頑張り、一緒に辞退したのがそのプロデューサーだった
ちなみにその降りた映画、まるで形を変え、監督もスタッフ、キャストも一新され製作されたが、ことごとく酷評を受け、ほぼ忘れられた作品となっている
自分を信じてついて来て、自分のために辞退したプロデューサーには、今でも頭が上がらない
いつか、早く、報いたい
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