女ごころと秋の空…?

とはいいますが、秋の空…のほうを、最近わからないなあ、そうなんだなあ、と思います。昔の人は、季節に寄り添って生きていたのでしょうがめぐまれた時代のぼくは雨が降ろうがああ、そう、妹がいるので取り込んでくれるだろう、という感じなのですが…けど言われたらのそのそととりこんだり犬の散歩はしたりするけど、この言い回しは競馬やってるとそうなんだな、と気づきます。競馬は前の日に天気を予想したり予報みたりするんで。ダメ漫談なのかそうでないのか分かりませんが、女心はもっとわからないのか、わかるひといたらそれは便利というか、そんなん考えへんひとやからモテたり考えへんときにかろうじてそういう機会にすくわれたりするんでしょうか。アルムのもみの木にそんなんきいても仕方ないやん、とか思うのがあかんのかなあ?


今の自分は逆に女心なぞわからなくてもやっていったらぁ、武士は食わねど高楊枝、それでもいいという方いたら…という高姿勢(低姿勢?)ですが、もっともっとうら若いとき、それこそもみの木にたずねることをいとわなかった、汚れなき青年のとき、いや、よくよく聞くとダメ漫談みたいですが…ぼくは、目の細いある女子がすきで、その女の子のまえでは借りてきた猫でした。周りには半分バレていたようで、間接的にその子にばれたらいややなあ、と思っていました。その子とは別に、あかるくて男子とよくしゃべる子がいて、僕は口がわるかったので、その子は背が高くてそれをネタにうるさいくらいいじってたのやけど、二年生になってバレンタインになったら、僕は当然もてないしクラスの離れた好きな子からチョコはもらえんくて、しょげていたらいつも非紳士的な態度でいじっている背が高い子から「明日どこでチョコ渡したらいい?」とマークつきでメールが…その時よりもっといろんな意味でわきまえて、人間まるくなった僕は、その時以来本命のチョコなんかもらうことができません。


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元気ですか皆さん
excellent