頑張れ思春期

思春期って、だれにでもあるんかなあ。この間、というか最近、母親とケンカする…というか、この年になってケンカするのは母親ぐらい。それがものわかりがいいのか、いつまでも子供の証拠なんか…





自分に都合のいい理由だけではありません。分析なんて、いくらしたって意味ないし、しても物事も自分の心も解決せず、相手を傷つけるばかり。のはずが…「母親だから」我慢しないといけないはずが、母親だから他の人にはある意味言えないラインを越えて言えてしまったり、母親だから嫌なところがあると直してほしいし(自分のことまで大袈裟に考えていやになるけど、きっといくつになっても根っこはにている)ものわかりが、この歳になって悪いのは、思った事吐き出してみて気づいて恥ずかしい。けど、こんなことがあったり割りきれず思ったりのは今は母親だけ。そういう事あったのは、ほんとの思春期か以前の事の気がする。自分も世界狭いし、ケンカぐらいならない事ないけど…自分の存在をちょっとでもかけて、ぶつかったり嫌いになって悩むことはなくなった気がする。学校、バイト、友達、いやな人がいたり、というかきっと嫌な人なんていないけどちょっとした瞬間でその人が嫌になったり人として良くないと思っても、一瞬だけで引きずらない。その人と仲良くしたい、わかってほしい、気難しくいえば立場上嫌いになったり嫌われたら困る…そういう気持ちがあるから逆に嫌いになって自分だけ嫌な思いするのかな、と自分で気付いたから、嫌いな人に振り回されない、それは自分のさびしさだったり人に頼ることでかっこ悪いし気分が悪い、ほんとに嫌な人には一発、やんわり、伝えるようにしていて、人のためには難しいけどそんな露骨にぶつかるような人はいなくなったんです。


わりきって、やれないのが子供、いやたぶん人間だし、それは悪い事じゃない。けど、今の普段の周りや同じようなら父親、兄弟にもわりきって接せてケンカないのに、いまだに母親だけにはむきになって自分をぶつける、それは傷つけること、決して自分がゆう権利あるわけじゃない。母親って、特別なんかな…男、女はわからないけど。


僕はお母さんっ子なんです。父は当時仕事が夜中で、みるのは朝ベッドの中で寝てるまま。嫌な事があったら、お母さんの胸で思いっきり泣いた。それで良かった。浸るみたいやけど、今の自分の将来はきっといいと思うけど、もうまもなく歩き続ける人生、傷ついても進まないといけない人生、それは平気だ、望むところ、思っていても、あの時の母親の胸にかえりたい、きっと本当に幸せだった時ってきっとあの時だけなんだ、って思うときあります。それを前向きに、浸りすぎないように、自分はそういう事考えるのが好きだから考えています。

意識しないと、マザコンみたいになると思う。それが嫌だったり、自分の力で生きていかないと、と思ったりして、時に突き放してしまう時がある。気が済んでみればなんてことない、いつも通りまだ気持ちの面でも、生活の面でも母親に甘えている。露骨に甘えることをしなくても。あの時の、抱き締めてくれた母親、それで良かった関係、自分…あの時のままの、母親、自分でいてほしい、あの時の母親のまま自分の理想をいうがままに聞いて、そういう母親でいてほしい、きっとそう思って、そうじゃないのがとっくに当たり前なのに根っこで求めてるんだと思う。


きっと僕は今でもいつでもそれを忘れていないし、それで優しくする時もあればそれに都合よくいかなければ傷つけたりする。気持ちなんて、きっと本当の、奥の奥はなかなか分からないと思う。大事な気持ちはわかってくれたり優しくしてほしい時にしてくれても、心の奥はこうであってほしいと不安になる。きっとそれは理想でしかなくて、自分が人にそこまでできるかも分からない。自分が子供できて、学校、もしくは塾、行くようになって、社会に出て相手と生活して、きっと気持ちがわからなくなる。そうであっても、「その子の気持ちをわかってしてあげる」ことはできるんでしょう。心の本当の奥の奥をわかってやってあげる、もしかしてそれは子供をおんぶして歩かせてるようなもんかなと。きっとそれに向き合ってうまく消化するように導いてあげるのはできるかも。理屈を言ったけど、理屈だったり議論だったりするのは、耳が痛くなったりお腹一杯になったりするけど目的は「共有」だと思う。こうやって吐き出してる間に母さんに優しくしよう、とも思ってきた。聞いてほしい時はあるけど、きっと共有して相手に良い心構えになってほしい、と思っている。僕はそこまで考えてないけど、言ってみて結果そういう風になればいいな、とはどこかで考えています。


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