僕は、何となしに広辞苑を読む事が、よくある。
これといった調べものがあるわけでもない。
ただ、何気に広辞苑を読む事が、よくある。
なんで? と聞かれると心底困ってしまう。
読んでいる時は、読んでいるという意識が全く働いていない様なのだ。
こんな習慣? を、自覚している限りかれこれ五年ほど続けているが、どうみても博学とは言い難い。
なんで? 僕自身が知りたい事だ。
最近、その事について本気に考えた。
僕は、自分は勉強するわけでもないのに自室に入ると、真っ先に机に向かっていくという癖を発見した。
するとどうだろう、腰掛けると目の前に広辞苑が置いてあるのである。
そこで、試してみた。
広辞苑を机の棚ではなく、真後ろに設置してある本棚に収め、代わりに卒業アルバムを置いてみた。因みに小学校のアルバムである。
そんな実験のこともすっかり忘れた数日後、僕はやっぱり机に向かっていた。
そして気づいたら、不思議な現象が起こっていた。
僕は、広辞苑を読むでもなく、かといって卒業アルバムを見入るわけでもなく、ただ、座ってボーッとしていたのだった。
これはどういうことなんだろう。アルバムでは広辞苑の代わりにはならないのだろうか?
今度は英和辞典にしてみた。何となく広辞苑に共通するものがある様な気がしたからだ。
だが、思惑通りにはならなかった。毟ろ、成績の悪い科目を思い出させるだけで、すぐに本棚に閉まってしまった。
今度は、目の前に何も置かないで実験してみた。果たしどんな行動を僕はとるのだろうか。
だが、その実験も失敗したようだ。手持ち無沙汰になった僕はどうやら寝てしまったらしい。気がついたら、朝方になっていた。
結局のところ、僕にとって広辞苑を読むことも、ボーッとすることも、寝ることも同じ価値でしかないようだった。
だったら、というわけで今は広辞苑を目の前に戻し、昔のように何気に読んでいる。
(1999年初出 超短編小説)
かなり実験しましたね~笑
広辞苑ならプラスになるしいいですね
文章で想像できておもしろいです~(o^∀^o)
ん~今も読んでたり