『アサーティブ』。
自分も相手も尊重し、大切にする自己表現の方法。
情報発信を始めるのって、
きっと最初は誰もが怖いよね。
『成幸村LIVE』
(https://www.youtube.com/channel/UC905ffgtRkUUDTDv2xhsoVA)
でも少し触れたけど、
私が情報発信を始める時に怖かったのは、
本当の姿を家族に知られてしまうことへの恐怖だった。
社会に対しては恐怖心をあまり持ってなかった。
でも、よく考えたらそれは違ってた。
FBが日本に入る直前くらいの時。
当時私は大学に入学したばかり。
私は、10年前から、
『カミングアウト』という形の情報発信(自己開示)を始めた。
これ、本当に本当に恐怖だった。
でも、隠しようがないの。
極端に言えば、隠そうとすることは、
自分らしく生きることを否定しているのも同然だから。
私は、開き直ったのね。
性的マイノリティであることを、
墓場まで持っていくことで、
偽りの人生を生きるのか、
エーーイ!!ってカミングアウトすることで、
もう勢いでも何でもいいから、
無我夢中で自分らしい生き方を勝ち取るのか。
ダメならダメで、その時考えようって思った。
今ならハッキリと言えるけど、
結局、現実から逃げたって何も変わらない。
誰もが見えない未来に不安を感じていて、
暗闇の中を手探りで歩いてる。
怖いなら、目をつぶってでも一歩前に踏み出してみないと、
その先に道が続いているのか、
近くに手を差し伸べてくれている人がいるのかさえわからない。
そうやって、目をつぶって
「ここは断崖絶壁じゃない!きっと、きっと道が続いてて、もしかしたら誰かが待っていてくれるのかもしれない!」って恐怖の中自分にそう言い聞かせて、エイ!って踏み出したら、
「あ、道があった・・・」っていう感じだった。
あの頃の私はきっと人知れず泣いてた。
いや、つい最近まで泣いてたかな。
でも、涙の意味が変わった。
辛くて、苦しくて、怖くて、孤独で泣いていたけど、
人の温かさに涙が出るようになった。
生きててよかったって思った。
そう思えても、
やっぱり家族にだけは本当の姿を見せられなかった。
10年という長い間、本当の姿を見せることはできなかった。
でも、それもね、変なタイミングではあるけど、
10年の時を経て本当の姿を見せられる時が来た。
だけど、理解してほしいとか、
受け入れてほしいっていう気持ちよりも、
『絶縁されるかもしれないな』っていう
覚悟を持って会いに行った。
絶縁されたら、それは仕方ないから、
どこかに旅立とうって思ってた。
家族も誰も私を知らない場所で、
私だけの人生を生きようって。
失うものは自分以外に何もないから。
不安になりそうな時は、
自分の心と仲間の声だけ聴いて、
周りの存在をシャットアウトするのも有効。
他と比較しないためにね。
あなたはあなた。
他の誰でもないから、心配しないでね。
みんな、『特別な人』。
『普通な人』なんていないから。
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