リニューアルにふさわしく

そろそろ次回のブログをと思っていたら、



このサイトがリニューアルに入ってしまい、


月が変わっていました。






月末のスポーツニュースを賑わせた新横綱の稀勢の里に関連する話題なら、ちょうどいいと思って今回のテーマにしてみました。


横綱のふしぎ発見!と参りましょう。






内閣総理大臣、巨人軍の四番打者と並んで


時代を作る存在と私なりに思っているのが


歴代の横綱です。初代の明石志賀之助(あかし・しがのすけ)から今度の稀勢の里まで

わずか七十二人しかいないというのだから、



いかに厳しい世界かというのが分かるはずです。


その横綱の地位は、なんと昭和二十六年までは免許制度だったというのをご存知だったでしょうか?その横綱だけでなく、立て行司の


免許も審査していたのが、熊本の吉田司家(よしだつかさけ)で、19世の追風(おいかぜ)善左


衛門のときに横綱制度を考案したというもの。

1820年代に、江戸城で十一代将軍の徳川家斉



立ち会いのもと、上覧相撲が行われその時に


始めて土俵入りの儀式を神事として行ったのです。その時に、免許を最初に与えられたのが四代の谷風と五代の小野川で、それ以降は、相撲協会から横綱免許願が申請される度に、七人衆と呼ばれる門人が審議を重ね決定

をするというシステムが採用されていました。



素行不良だったために三十二代の玉錦は、


三回も昇進を見送られたぐらい厳格だったとか(>.<)




しかし、昭和二十六年からは相撲協会と新たに設立された横綱審議委員会に決定権を移し、現在も吉田司家は熊本でひっそりと、


相撲の文化研究を続けているそうです。


たまたま、去年の暮れの新聞のスポーツ欄に


相撲の歴史に迫る月イチ企画で、この話題が


載ってたのでこちらを切り抜いてみたものです。








またまた、大雪という週末の空模様のようです。先月下旬の最大49センチ積もったあの時


程じゃないけれど、日本海側の皆様充分気をつけましょう。(写真は、米子駅の機関庫で


休息中の新型ラッセル車。今回もフル稼働?)



ぐっにゃーん(^^)/


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