*-単位-


優子は焦っていた。
ひょっとしたら卒業出来ないかもしれない。
留年。
大学四年になる優子は、とりあえず就職は諦めていた。だが、卒業は是が非でもしなければ。これからの動きは卒業後に考えたい、まず何より学校から巣立つべきだった。

優子が無事卒業式を迎える為には、2単位足りない。
たかが2単位で、彼女の人生の内の一年間が決まってしまう、そんな事は彼女にとってナンセンスなのだ。

彼女は人文地理学の講義に目をつけた。退屈でしょうがない講義ではあるが、出席も程々だし、レポートの取りこぼしはない。前期の試験は全くの失敗だが、後期の頑張り如何では確実に《C》は取れるはずなのだ。
彼女はしたたかになる決意をした。担当の教授に気に入られる為ならなんでもする覚悟を決め、教授室のドアをノックした。


その鳥越というのが、教授の剥製のような堅物で、優子との駆け引きに全く応じようとしない。いつも忙しく書き物をし、電話の対応に追われ、大学院生相手に熱弁し、いつ優子が訪ねて取り入ろうとしても上の空であった。優子は訪ねる度に、
『―えっと、誰だったっけ』
と、名前を言わされる事にげんなりしていた。教授と呼ばれる人達は生徒を学籍番号でしか認識しない、生徒はチェスの駒か、とさえ思えてくる。

ある時は、泣き落とし作戦をにべもなく撃沈された。色気仕掛けで迫ったときもあったが、鳥越はそれが色気であることさえ気づかなかった。


十月も差し迫った頃、優子は媚びることをついに諦め、素直に単位をすがった。


『なんでそんなに卒業したいの?』

鳥越はしごく基本的な、だが大半の学生には答えることの出来ない質問をした。
『卒業認定が下りるように、ちゃんと勉強した? 身についてる? 何のために大学に来たの? 卒業後の進路は決まってるの?』

そんな問答を30分もやらされた優子は、ついにキレた。

『とにかく単位が欲しいんです。単位さえくれれば、卒業出来ればそれでいいんです。どうか認めて下さい。確実に単位をくれる保証を下さい』
鳥越はずっとそんな優子を見つめていたが、不意に、こんなことを喋りだした。

『じゃあ、取引しよう。交換条件。こっちの頼みを上手くやってくれたら、単位を保証してあげる』
『どんな頼みですか?』
『実はね、来週から出張があってね。その間の二週間、二年生の授業を代わりにやって欲しいんだけど。休講にすると、あなたみたいに出席が足りなくなる人が出てくるでしょ? 出席取って、プリント配って、スライド見せてくれればいいよ。マニュアルもちゃんと用意するから。きみ四年生なんだから問題ないでしょ』

勿論、引き受けた。


優子は頭にきていた。

二年生にである。

出席だけとってそそくさと教室を出ていく奴。居眠りなら未だしも電話を90分間ずっとしている奴。平気で遅れて来る奴。飲食している奴。その他多数。


教壇からの眺めが、こんなに酷いモノだとは思ってもみなかった。こんな奴らの為に、心血注いで講義をする事がどんなに無駄だろうか、生徒の名前を覚えるだけ損だ。学生がそんな態度をとるなら、教授もそれなりにしか相手しないのは尤もな事だ。こいつらは、学ぶ気はなくただ単位の為、卒業の為に学費を払っているのだと、優子は凄く悲しい気分になった。


約束通り、鳥越は単位をくれた。優子は晴れて卒業する事が出来た。
だが、されど2単位の為に、彼女の内の一年間を決める事も、むしろいいことかもしれないと思うようになっていた。



(1999年初出 超短編小説)

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