言葉というのは、時に残酷なツールである。
心という繋がりを信じられなくなってしまったら
そこにあるのは、単に文字の羅列に成り果てた骸でしかない。
どんなに言葉を募っても
どれほど言葉を選んでも
もはや、「心」を見失った人は救えない。
果ての無い喪失感に溺れているのは
自分を信じられない魂である
自分を信じ、自分を認められない心は
自分の言葉が空洞である事を感じてしまう。
だから、誰の言葉にも「心」が繋がってると思え無くなるのだ。
自分の心をしっかり見つめれないなら
誰かの心も見つめる事ができないのに
自分の心の本質から逃げて
誰かの心の本質が虚しいと叫ぶ・・・
そういう傲慢で哀しい性は人を傷つけ
自分をもっと傷つける・・
心という青い鳥は、誰かに見つけれるわけではない
誰かが持っている訳でもない
実は、どこかに飛び立ってしまった訳でも無い
自分の中に、自分だけが見つけれるその場所に
今は膝を抱えて眠っているだけなのだ
いつか目覚める日を夢見ながら・・・