先程、又、アメリカの父から電話があった。暗い話はしたくはないのだが・・・
母が、血液のガン・・・所謂、“白血病”に掛かり、入院した・・・と言うのだ。
アルツハイマー症候群も、前より、かなり進行しており、既に、私の妹・・・
詰まり、彼女の娘の事も、分からなくなった・・・との話だった。
母は、大正、昭和、平成を生き抜き、先の戦争では“東京大空襲”の中も
逃げ切り、助かった女性だった。私が、まだ小学生だった頃に“戦時中”の
話に付いて尋ねると、その“悲惨さ”を、よく話してくれた。父が、私に厳しい分
母は、私に対しては、とても優しい女性(ひと)だった。私が、中学生になり、
身体が大きくなって、父とよく言い争いになり、胸倉を掴み合っていた時にも、
140cm少ししかない小さな身体を、父と私の間に、捻じ込んで来て、
『お願いだから、止めて!!』と、止めに入ってくれた。父も、武道家なので、
母が止めに入ってくれなかったら、かなりの乱闘になっていた筈だ。
そんな事が、何十回とあった。その頃、私はかなり荒れていて、外で暴れて
いたので、喧嘩沙汰は絶えなかった。無免許で、先輩から貰った“単車”を
乗り回し、世間様の迷惑など顧みずに、仲間と走り回っていた。
当時、神奈川県警の第一交通機動隊が、かなり手強く、“族上り”の隊員も
多く、湘南方面に走りに行くと、必ず・・・と言って良い程、遭遇した。
私達の単車も相当、改造していたのだが、第一交機の白バイ隊員の、
運転テクは、ハンパなく上手かった。私など一度200km近いスピードで、
第一交機の白バイを振り切ろうとしたら、横付けされて、蹴りを入れられた
事もあった。私はその場は何とか凌ぎ、捕まる事は無かったが(笑)。解る
人には、解ると思うのだが、ノーヘル(ヘルメットを被らずに)120~130km
以上のスピードを出すと、涙は止まらないから、ロクに視界は確保出来ないし
ヨダレも止まらなくなる。そんな状態で、白バイの隊員と張り合うのだ。
だから、何人か・・・ハッキリ言うと、3人の親友を亡くした。幸か不幸か、私は
一度も事故らなかったし、捕まった事は無かった。当時の仲間は、捕まった
にせよ、歌ったり(口を割る事)は、皆、しなかったので、“芋づる式”に
挙げられる事は無かった。今、考えると、私も『よく捕まらなかったし、よく
死ななかったな・・・』とは、想う。あの時代に捕まっていれば、勿論、今の私
は、いないし、死んでいれば尚更だ。何よりも、全くの他人様(ひとさま)を、
巻き込まなくて良かった・・・と想う。本当に“若さ”と言うモノは、“諸刃の剣”だ。
“怖いモノ知らず”だから、どんな事にも、“挑戦”できるが・・・そのエネルギー
が、良い方へ行くか、悪い方へ行くかは、本人のみならず、周りを取り囲む
人間や、環境によって180度違ってしまうのだ。私は、そんな行為の“虚しさ”
に気付き、中学生の内に辞める事が出来、高校、大学へと進めた。しかし、
そんな虚しい行為の中からも学べた事はあった・・・例えば、友人を上辺
だけでなく、本当の意味で“大切”にする事や、先輩、後輩の付き合い方や
・・・決して、あの2年間は、私に取っては、無駄では無かった。又、話しが
やや横道に逸れてしまったが・・・母も、今年で88歳になったが、妹の事は
分からなくなっても、私の事は、未だにハッキリと覚えて居て、父に、
『○○(私の名前)は、どうして居ないの?』と仕切りと聞くらしい。彼女自身が、
アメリカに居る事さえ、分からなくなっているのに・・・だ。私が想うに、母は、
今年一杯は持たないだろう・・・だから、父にも電話で話したのだが、異国の地
では無く、生まれ育った、この日本で、母の最期の時を迎えさせてあげたい。
父も、『それが、一番良いのかもな・・・』と、言っていたので、早速、友人の
経営する、病院の一室を確保しておいた。父と、母が渡米した当時は、勿論、
母もアルツハイマーにもなっておらず、全く持って元気そのものだったのだが
・・・残念ながら、人間は、不老不死では無い・・・。
コメント
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お久しぶりです★
お忙しい中Comment
ありがとうございます
食べても戻してしまうとか
大丈夫ですか?
忙しすぎて披露が
溜まりすぎているのでは
ないですか?
暇が出来た時にでも
トモッチさんの好きな物
食べてくださいね
お疲れ様です
私も、日記を書いてみたんですけど…私からも、積極的に動いてみますねありがとうございます
いやいや、決して【小難しいお話】をしている訳では無いので(笑)私自身、暗い人間では無いからネ?誤解されないで下さい(笑)
ど~ぞ、ど~ぞ、何時でも遊びにいらして下さいネ
うん・・・深い、と言うか・・・かなり、“客観的”な、“臨床心理学”
なんだけどネ(^^)別に、謝る必要は無いヨ(笑)(^^)
草薙クン?SMAPの?う~ん、“いい人シリーズ”かな?
私は、観ていないネ・・・TUTAYAにでも行って探してみるヨ(^^)
うん、君は“モーニング・ワーク(グリーフ・ワーク)”に
付いての知識は、ある様なので、その説明は省かせて
貰うね・・・つまり、結論から、先に言うと、モーニング・ワーク
と、キュープラーの言う【死の受容】は、立場の違いなんだ。
モーニング・ワークは、主に『自分以外の人間の死』に対する
感情の現象を言っているが、キュープラーの【死の受容】は自ら
の、“死”に対しての『納得の仕方』を言っているんだ。彼が言うには、
大きく5段階に分かれていて、例えば、君が末期ガンで、余命半年と
告げられた、としよう・・・先ず来る感情は「そんな事は、有り得ない!」
と言う“否認”で、その次にやって来る感情は「何故、自分が死ぬんだ!」
と言う“怒り”で、その内、それらの感情を、行ったり来たりする“取引”と
言う感情へと移行し、やがて、無気力な“抑鬱”状態になり、それらを
乗り越えて、「充実した時間を生きよう!」と言う“受容”に至る・・・と言う
、一種の統計学的な考え方の事なんだ。解って貰えたかな?まあ、
たまには、『考える人』になるのも、イイんじゃない?(笑)
Takaさんへ。
そうですね、どちらにしても楽しい事ではないよね・・・
苦しむ姿を観て居れば『早く、楽になれば良いのに・・・』
と、想うし・・・あっけなく逝ってしまうと、『何故なんだ!!』
と、想うし・・・何等かの宗教を信仰する人間に取って“死”
は、至上の悦びであったり、又、来世への希望があったり
・・・とにかく、人間の“死”と言う、人生において、“たった一度
しかない未知の領域”に、なるべく恐れを抱かない様な“教え”
が、殆どだよね?“キュープラーの【死の受容】”って、君は、
知っているかな?人間が“死”と言う現実を突き付けられた時に、
どのような段階を経て、それを受け入れるかを、体系付けた論理
なんだけど、それも、やはり、信仰している宗教や、民族によって
、必ずしも、万人に当てはまるものでは、ないんだけど・・・何にしろ
人間に取って、なるべくならば“死”は、考えたくない出来事だろう
・・・だが、確実に万人に、“死”は訪れる・・・否が応でもね・・・。
私自身としては、一応、“死”への準備はしているよ。
こんばんは。
そうだったんですね
いま、親孝行や、
できることをしてあげてくださいね!
なかなか言葉にできても
行動することが大切ですよね。
日記を読んで私も
決意できたきがします。