肺ガンの母[おばあちゃん] 第4話

肺ガンの母は、
東京の公団団地から、我が家に来たのだが、

来たばかりの時は、抗がん剤イレッサの副作用と、ベッドで寝てばかりだった事から、
身体はフラフラ、手のしびれを訴えていた。

足腰が弱る事を心配して、先生に聞いた所、
散歩程度の運動は、無理しない程度にやってよいとの事でしたので、
私は、お母さんを、極力外に出すように心がけていました。

認知症も出ていたので、家の中ばかりにいるのはよくないと、私は考えていました。

しかし、
こっちに来て3日目の事

少しだけ歩いた所で、母が転んでしまいました。

かけていためがねは割れ、めがねのふちで切ったり、すり傷が顔にでき、手も切り傷。

私…おかあさん、ごめんね。大丈夫?

母…大丈夫よ。
まだ、ダメだわね。

ん? まだ??

母…もう少ししないと、ダメだわね。

ん???

私…そうだね。
おかあさん、少しずつ、距離を増やしていけばいいよね。

まだ、ダメだけど、もう少しすれば大丈夫になる。って事!?
私は、まだ。という言葉に、母の強さを感じました。

絆創膏をいくつも貼った痛々しい顔の母は、
夕食時、笑いながら、
主人や息子に、今日の報告をしていた。

痛くないかと聞いた主人に
母…痛いわよ。
生きてるんだから、痛いのよ。
って、
お母さん、面白すぎ。

さすがに、次の日は、お散歩お休み。

そして、その次の日

私…お母さん、杖買って来ましたよぉ。
花柄よ。かわいいでしょう。

母…また転ぶから嫌だ

と言いながらも、
杖をついたお母さん。
私も、お母さんと腕を組んで、しっかり介護。
散歩の形が出来上がりました。

髪がなく、坊主頭のお母さんは、外に出る時いつも、ニット帽をかぶって出ます。

お母さんは、ユーモアのある人です。
NHK放送受信料の振込み用紙が届いた時の事。

私…お母さんにだよ。
って渡すと

母…そっちは重要でも、こっちは、ちっとも重要なんかじゃないわよ。
なんて、
封筒に、重要と書いてあるのを見て言っていた。
私、大爆笑

旦那が、私の事を怒鳴ると、
母…止めなさい。○○(旦那)が悪い。
と言ってくれた。
弱っても、年老いても、母親なんですね。
お母さんに言われると、旦那は何にも言えなくなる。

旦那…全くぅ、ボケやがって、どうしょうもねぇよ。
って、お母さんの事を言うと

私…あなた、お母さんに、そんな言い方ないわよ。

と、私と母は、かばいあって、大変ながらも、笑顔で、楽しく暮らしていた。

2週間目。
こっちに来てから最初の検診、
肺に水が溜まり、
しかも、ドロっとしていたので、針では抜けない。

先生…入院して、カテーテルで抜くしかありません。頑張ってみますか?

私…お母さん、呼吸するの苦しい?
胸水抜けば、呼吸が楽になるんだって。
でもね、抜いても、また、溜まっちゃうだろうって。
抜かなくても、これ以上に、お水溜まる事もないそうよ。

先生が1度説明してくれた事を、もう1度、私から母に話た。

母…呼吸は苦しくないよ。
また、入院するの?

入院嫌だと言わんばかりの母の顔を見て

私…先生、もう、痛い思いや、辛い思いはさせたくないので、連れて帰ります。

さらに2週間後の検診

先生…胸水の量は変わっていませんが、
腎臓に負担がかかっているので、イレッサは、これ以上使用する事はできません。
残念ながら、イレッサの効果もなかったようです。
薬は使用しないので、何もなければ、次回は1ヶ月後でいいでしょう。

そして、
さらに、それから1ヶ月後、嬉しい検査結果が出た。
こっちに来る直前の検査では、
腫瘍指数6800の母が3600に落ちていた(健康な人は37位)
そして、
胸水が、少し減っていた。

私…お母さん、良かったね。
良かったぁ。

母は、嬉しそうに、ニコニコしていた。

その日、東京の団地に泊まった。
母は、お友達の家に遊びに行き、3時間もお邪魔して来た。
楽しかったようだ。
つづく

コメント

芽生ママさん、
母は、本当によく頑張りました。

私も頑張りました。
家族だから、頑張れました。
母が笑ってくれる事が、私にとっては、何より嬉しい事でしたわーい(嬉しい顔)

パセリ 2011年08月19日

パセリさんこんにちは!いつもお忙しいのにコメントありがとうございました。m(_ _)mお母様も頑張っておられますねexclamationそしてパセリさんも、私も頑張りますねexclamationありがとうございました。m(_ _)m

2011年08月18日

akiさん、
イレッサが使えなくなり、どうなっちゃうかと思いました。
が、明るく笑って生活する事が、母の免疫力をアップさせたのだと思います。
私も、免疫力アップの食材、しいたけ、キノコ類、レンコン、ブロッコリー、りんご、ヨーグルトなど、沢山、母に食べさせておりました。
抗がん剤を使わなくなったのに、腫瘍指数が減ったのには、希望がもてましたぁわーい(嬉しい顔)

パセリ 2011年08月18日

苦しい闘病生活だからこそ、病状の進行が食い止められると
嬉しさがありますね。

男は何歳になっても母親には弱い。そんな気がします。

お母様の輝く笑顔が目に浮かびます。

涙ぐみながらファイトです!!!

2011年08月18日

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