母が亡くなり、
葬儀の打ち合わせという事になった。
遺影に使えるのは…と、母のアルバムをめくった。
美人の母だったが、思うような写真がない。
私…あ、あの時、そう、お母さんが、携帯カメラモードにしてしまって撮った写真があるよ。
葬儀屋のパソコンに送信して、即、それが遺影となった。
私…なんだか、お母さんらしいよ。
自分で用意しちゃうなんて…。
遺影写真を、私に撮らせたんだね(笑)
その写真は、亡くなる半年前、
にっこり、優しく微笑んでいる。
この写メ撮った時、
お母さんは、満足そうに、ずっと眺めていたんだったよね。
とってもいい写真だよ。
お母さん。
今もずっと、リビングに置かれた仏壇の上で、私達家族と、いつも一緒です。
若くて、ぽっちゃりの時のお母さんではなく、
病気して痩せちゃった、私達と一緒に暮らした時の、一番身近に感じるお母さんの遺影です。
ずっとずっと、一緒です。
優しく見守っていて下さいね。
お母さん。
母の事、書き出したものの、思ってもみない長い文章になってしまいました。
でも、ここに書き綴れた事、とてもうれしく思っています。
始めから読み直したら、
自分で書いた文章なのに、涙が溢れて止まりません。
すべてが、うそ偽りない事実です。
この母の一周忌が、今月行われます。
なんだか一年経つんだなぁ~と、不思議な感覚でいます。
ここで、母について、述べさせてもらいます。
母は、52歳で旦那を亡くし、
私…私達と一緒に暮らしましょう!
と話したけれど、
母…私は、わがままだから、一緒には暮らせない。
と、一人で気ままな生活を送って来られました。
お友達も多かったし、電話しても出ない事が多く
「お食事行ったの」
「お芝居見て来たの」
「美術館行って来たの」
母が、楽しそうにしてくれていたのは何よりなんだけれど、
家に電話して出ないのは心配なので、無理やり、携帯電話を持ってもらったのでした。
今になってみたら、52歳は心配するような年齢ではない事、理解できるのですが、
若かった私は、一人暮らしのお年寄りを心配する感覚だったのでした。
そして、
そろそろ年老いたし…。と話した時は、うちの長男、長女が東京(母の所からバイクで5分)に出た事で、
母…何かの時は、私がいるから。
と張り切っちゃったのでした。
現に、
息子が財布無くした時も、母が頼りになったし、
金欠病で、食べさせてぇ。と泣きついた事も…。
それが、母にとっては、何より嬉しかったようでした。
母の方からも、息子と娘を、しょっちゅう呼び出し。
ご飯はご馳走になれたが、近所の商店街を連れ歩かされ、
母…孫が来てくれたのよ。
と、自慢の孫をさせられていた。
その分、いろいろ買って貰えたから、
お互いに、いい関係を作っていた。
そんなこんなで、母は、
最後に、辛い思いをしてしまったけれど、
悔いのない幸せな人生を送ったと思っています。
本当に幸せな人だったと思います。
最後まで、読んで下さって、ありがとうございました
コメント
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ハーフさん、
お骨となって帰ってきた母は、ソファーの上で、
なんか、ほっとしているかのようでした。
母の遺影は、本当に、優しく微笑んだいい顔をしています。
私は、今、お仏壇の上に置かれたお母さんの遺影に、いつも、話しかけています。
お母さん、行ってきます。
お母さん、ただいま。
お母さん、………なんですよ。
パセリ
2011年09月09日
こんばんは
携帯で見てますが、涙があふれそうです
もうすぐ一周忌ですね。
お母さんは皆さんのことを優しい目で見守っているとおもいます(絶対に!)
パソコンで最初からまた読み直させていただきますね
のびた
2011年09月09日
こちらこそ、読ませていただいて、ありがとうございました、だよ
パセリさんの優しさとお母さんの頑張り
二人の素敵な関係
スゴい、伝わってきた
パセリさんが撮った遺影の写真、お母さんも一番気に入ってると思う
いつも、いつまでも、一緒だね
それを聞いて、なんか、少しホッとした
なんか、ありがと
ハーフヴァンパイア
2011年09月08日
芽生ママさん、
そうですよね。
いつも、私達を、優しく微笑みながら、見守ってくれていますよね
パセリ
2011年09月07日
のびたさん、
はい、母は、いつも優しく、私達を見守ってくれている。
そう思います。
今までは、何かの時は、
「神様~どうか…」
でしたが、
今は、
「お母さん~どうか…」
なんて、仏壇に手を合わせている私です(笑)