東北の震災を歩く

おとつい友人の友達の監督さんの映画(http://fartheron.soragoto.net/trailer.html)を観に行った。

テレビと違った風景があった。カメラの目線から、現場を歩いている感覚がした。テレビは、どこか俯瞰な感じで映していたんだなって思った。

何もかもが破壊された死の世界。その中に人が一人歩いていたり、居るだけで、根絶やしになった所に人が生息しているんだと驚く。こんな破壊されたところに、どうして死なずに人が存在して、居るんだと不思議な気持ちにもなった。

震災から数日後に現地入りしての撮影だが、被災者は意外と冷静で、口も軽く、元気であった。そういう人を撮っているのかも知れないが、死んでるけど、遺体見るまでひょっとしたらという絶望的な希望に浸っていたり、あまりにもスケールがでかい、そして一瞬の破壊、身内の不明や死がゆえに、脳のレベルを超えて、半分、脳がおかしくなって、ある種のナチュラルハイみたいなものになっているんだろうなと感じた。死んだ子供の写真を笑顔で一杯見せて、存在をアピールして、死の現実を逃避しているんだろうなと思った。

あと、誰も居ない所に人と会ったり、見るだけで、嬉しさや寂しさから解放されて、話が切れるとお別れなり、寂しくなるから、ずっと一緒に居たく、孤独になるのが嫌だから、身内の死も話や話さないことまで話して饒舌になっているんだなと思った。それくらい、何もない、死の世界、地獄であることがわかる。人間の精神の姿を知れた。葬式の現場や病院での死の受け入れとは違う死の現実の飛び込みがあるんだろうなと感じた。けして他人事ではない。 人と話すのがうざいとか思うのは平和で安定している証拠かも知れないなとも思った。

寂しさなど、そういったものから解放され、生の証明であり、死んでも再会できる気にさせる写真は重要だなと感じる。必死にみんな探している。写真でも良いから会いたい思い、寂しさを紛らわしたいという気持ちがひしひしと伝わる。地震や津波でもすぐ見つかるようなタイムカプセルみたいなものを作ったり、販売するのも良いかもしれないなと感じた。

その後、監督さんと飲んだ。NHKのプロデューサーや写真家や戦場記者など色々な人と話したり名刺交換できて、有意義な時間を過ごすことができた。自信や信念があるから、すごくフレンドリーで、相手を受け入れるし、アイデアも多く、話が面白かった。

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