メガネの母

昨日



メガネをつい踏んづけてしまった・・・・



〈メガネの母〉と



勝手に名づけてしまった神保町のメガネ屋さんにいった。



神保町の古本屋通りにある



昔ながらのメガネ屋さんである。おもてにジョンレノンのポスターと彼がデザインした○-○が並んでいる。



僕のように トラブルを抱えた顧客のために店を開けているというような



そんな時代からは取り残された見識のあるマスターなのだ。



買い換えを勧めるよりも



できだけ使えるように自分で修理をしてくれたり



場合によってはなじみの修理屋に出してくれたりする。



そのメガネの母でも今回は直せない、という具合の思い切った踏み方をしたらしい。



メガネが壊れる時は 人身事故が原因である。



近代の叡智を支えてきた メガネという道具は実に弱く儚くもろいものなのだ。



ものの大切さ



ものの生命の



そのはなかなさを伝えてくれるものがメガネだ。



それで レンズの命を長らえさせるために



フレームのみを



もっと安くで買えるところもあるのだが



ここまでの恩を受けた以上は



メガネの母にも恩返ししなければならない。



定価で購入させていただいた・・・・つもりだったが・・・・



工賃と送料というのもかかるそうで



直せずに申し訳ないので負担するとのことだった・・・・



・・・・



メガネが壊れる時は



僕の場合は変化の時なのだ



そして、変化は来た



見方を変えることは



心のあり方を変えること



どうとらえるかは 心にある



その人の価値観に支えられた世界のあり方にある



世界は その人の捉え方になるのだから



心の形を変えること



そして そのまま見ること



僕が変わるために



僕は自分の中で決断しないといけない



準備は進めたい



なろうと思わねば 人は何ものにもなれない

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