富岡八幡宮例大祭が11日から行われており昨日は昨年度震災の影響で延期された本祭りで神輿連合渡御で大いに賑わったらしい。
そこに天皇陛下が東京大空襲体験者と懇談をされ
その後神輿の渡御をご見学なされたらしい。
おこしなされることを知ってはいたのだが
個人的に人生の山場が待っておりそちらを優先したのだが、
遠巻きに一度天皇陛下をお見かけしたことがあるが
以降、「陛下」とお呼びしてしまう。
ウィキペディアにあるように
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により焼失。その直後の3月18日、被災地を視察した昭和天皇が富岡八幡宮に立ち寄り、境内で被害状況の説明を受けた。その帰り、侍従長藤田尚徳に「今度の場合は、はるかに無残な感じだ。コンクリートの残骸などが残っているし、一段と胸が痛む。悲惨だね。侍従長!これで東京もとうとう焦土になったね」(昭和天皇は皇太子摂政時代に関東大震災被災地を視察している)と感想を語ったという。境内にはそれを記念した碑がある。
似たことは富岡八幡宮が出している神社紹介にも書かれていた。
今上陛下のご心中を察するのは恐れ多いいが
上の故事があったに違いない。
昨年震災があり、ご自身手術をお受けあそばされ
陛下の目から昨日の光景は如何に見えたのだろうか。
国の行く末を心から案じている
そういう方がまだおられることは
この日本という国にとって幸いなことなのだと思う。
この国の歴史はそのようなお方を時に苛酷を強いる時がある。
この先の数十年は
さて、どちらに転ぶのだろう。
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