その2

タマモクロスはデビュー自体体質が弱かったため遅く、デビュー数戦はダート(砂)のレースを使われたりしていた。そんな中、気分転換やちょっとしたきっかけになれば、と考えて使われた芝の下級条件戦で圧勝。そのまま重賞の鳴尾記念まで圧勝を続け、体質の弱さが尾を引き慎重に使われていたタマモクロスは有馬記念を回避し続く中山金杯、阪神大賞典、初GIの天皇賞春まで連勝の末獲得します。しかし、生産者は表舞台から姿をひっそりと消し、タマモクロスの生産者としての表彰台に登ることはありませんでした。タマモクロスの連勝が始まったのは、母であるグリーンシャトーが牧場のごたごたの傍ら命を落としたのとほぼ同時期でした。



その頃、競馬界の主役はもう一頭、いやタマモクロスより耳目を集める馬が一頭いました。タマモクロスの1つ年下で地方競馬から出てきて連勝を重ねていたオグリキャップです。この成り上がり的なストーリー性を持った2頭は毛色も同じ葦毛(灰色、白)で直接対決はタマモクロスの2勝だったのが有馬記念でオグリが雪辱を果たすなど、オグリの引退、アイネスフウジンのダービーといったレースに代表される一般人を巻き込んだブームになっていきました。

その3へつづく


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