タマモクロスとデヴィッド・ボウイ

宇宙は広い。その中で、偶然出会って一生に影響を受けた母なる存在。この宇宙、存在すらあやふやな時間の中を切り取って出会った相手…



1984年5月23日、一頭の競争馬が誕生します。生まれてすぐは母親と、しばらくしてから心と体の鍛練の時を牧場で仲間と過ごしたこの雄馬は、後にタマモクロスと名付けられターフ(芝、競馬場)へデビューします。この馬がのちにライバルとの激闘でターフを、さらには世の中さえも沸かせるようになるのはまだまだ先の事…

デヴィッド・ボウイ、本当の名はデヴィッド・ロバート・ジョーンズ、1947年1月8日、ロンドン南部ブリクストンにて生を受ける。音楽好きの父親の影響でサックスを吹いていたジョーンズは15歳の時、友達との喧嘩で左目の視力に異常が残る。16歳の時にジャック・ケルアックの「路上」を読んだジョーンズはいよいよ音楽の道へ傾倒する。デヴィッド・ボウイと名乗りイギリスのアンダーグラウンドを熱狂させるのはまだ少し、いやそれほどでもない先の話…




太陽は永遠と共に残る。それは時間を止める鮮烈な光とともに、放課後、休憩時間の校庭、幼いころに見た海外の露店、日本の商店街、夏のプール、海。まるで、太陽がなくならないかのように、夜が来ないかのように…




タマモクロスの生産牧場である錦野牧場は中堅規模ながら強い馬づくりを目指して牧場の経営に力を入れていた。身の丈にあった経営ならともかく、種馬となる種牡馬の導入に尽力するなどの熱意は通常は大牧場が中心となって他の牧場にビジネスとして提供するものであり、錦野牧場の借金は日ごと増えていった。そうやって導入した種牡馬シービークロスの子供として生まれたタマモクロスに生産者は才能を感じたが、セリ市にかけてサラブレッドとしては知れた値段である500万という値段でタマモクロスを手放さざるを得なかった。結局、タマモクロスの大成を見ずに牧場は倒産する結末となる。






その2へつづく


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