自分が甘いものを食べる時に理由を聞かれれば、疲れたからって答えるとやっぱりいい。
でも、疲れてなくても食べるし・・・・・・
で、一昨日、前々から気になっていた、和菓子のお店“庄之助”の庄之助最中を買いに行きました。店主のお父さんが大相撲立行司、二十二代木村庄之助だったことからお店の名前になっているようです。(最後に由来記載。)
以前紹介したミルクホール(ラーメン屋さん)のすぐそばです。
最中は、形が相撲の軍配の形をしたものです。皮はぱりぱりで、中の餡は粒餡です。
粒餡は、晒し餡に大納言の粒が残る位すり潰したのもので、甘さはくどさのない、癖のない上白糖もしくはグラニュー糖のような甘さのイメージであっさり美味しいです。
今回2個買って、一度に2個食べましたが、4個位お茶なしで食べれそうです。
一緒に合せた飲み物は、伊藤園“きりっと濃いめ”にしてみました。
やはり、甘いものを食べるのに理由はいらないと切に思いました。
今日のお店;二十二代木村庄之助
神田須田町
※神田北口、清澄白川に支店があります。
お店のホームページに二十二代木村庄之助こと 泉 林八さんの一代記、他に妻之物語が掲載されている。なぜ、行司になったかも記載されている。その中で、何故、お菓子のお店をやるようになったのかも記されていたので、興味のある方はどうぞご覧ください。
お店HP
http://www.syounosuke.net/gallery/history/iti20.html
<二十二代庄之助一代記〈第二十回〉>以下抜粋
六十二年間もつとめ、最高位までのぼりつめたといっても、退職金は二百五十万円ぽっきり。
それから税金を差し引かれ、恩給、非職給、あるいは失業保険といったものは一切ない。
行司最高の庄之助になった者が、恥ずかしいことながら、のんびりしていたのでは生活ができない。
かといって、庄之助までつとめたものがあまりへんなことはできない。
そこで、もっともてっとり早い方法として、長男の雄介が前からやっていた須田町の菓子屋で、もなかを軍配型うちわのかたちにして〃庄之助もなか〃という名で売り出すことを考えた。
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私が引退するとすぐ、いづみ家の屋号を〃庄之助〃に変え、うちわ型の「庄之助最中」を売り出した。これが運よく成功したのである。・・・・・
本当にいろいろとすいません、kazuさんには、本当にお世話になっております。
今年もあとわずかですが、来年もよろしくお願いします。
あれ!クリスマス前に年末のあいさつになっちゃいましたね。
でも、まだまだ、大きなイベントありますし、年内十分楽しみましょう。