無気力試合

無気力試合というネーミングに何故なぜなったのだろうか?



では棄権という制度があれば棄権していればよかったと言うことなのか?



メダルを取るための戦略的敗戦が認められないのならば



戦略的な引き分けねらいにどの程度のペナルティーが課されるべきなのか?



競技者としては 勝ちたいのが本音で



指導者の指示によって



不承不承やったというのが本音ではないだろうか?



決して、選手が無気力であったわけではないだろう。



そう映ったのならば、プライド高い選手ほど選手自身そういう表情でもしない限りプレーできなかったのではないだろうか。



そんな納得できな試合なら一分一秒早く終わらせようということだろう。



批判するのは易しいが



人に優しく会ってほしい。思いやりって国とか人種とかで働かなくなるものであっていいのだろうか。



メダルに一喜一憂しているのは我々の方なのだ。



それもこれも含めて



金メダル至上主義の悲劇なのだろう。



そして、



敗者にあたるスポットはない、ということなのだろうか。

コメント

不適切なコメントを通報する

最新ブログ

食べること
休みの前の日
ポテチ
ポテチ