天と地と人と

土地柄について 思いを馳せるようになったのは



確か吉川英治の『宮本武蔵』を読んでからか。武蔵が柳生の庄に入った時の場面であったか。



同じく、宮本さんでも常一さんの本を読んでいると、それぞれの土地で如何に知恵を働かせて生き抜いてきたかがわかる。



今回の旅で



僕の頭の中では鶴岡と酒田は大きな差はなかったのだが、特急電車で約二十分近くもかかる。東京から大宮、津田沼、横浜あたりまでいける距離である。とすればまったく違った世界がそこになるのだろう。



酒田の解放感に比べて鶴岡は山の力を感じないわけにはいかない。



同じ庄内米であっても鶴岡の方がおそらく山の成分が強いのだろう。



それは即ち、水の濃さということなのだろうか?



そう考えると風と土で風土の違いというくくりになろう。



帰りは特急いなほで帰ったが、



十年以上前に乗った時も感じたが



おそらく市という行政単位、かつての藩の名残であったり、土豪たちの支配地によって風土から受ける印象が違う。



天と地と人とがつくりなしたものであろうことは間違いない。



そして 土地に関して感じたことは



土に根ざしたものの強さだ。



土に根ざした仕事は、時代の風雪に耐え忍ぶことができる。



それは命に直接かかわることがらだが、流行ですませていいものではない。



商いの本質は雲のように流れゆくことなのだろう。



人の住まなくなった家がすべてそうであったと断言はできないが、



流行廃りが激しいのだ。諸行無常の響きがそこにある。



如何に命の鎖を末々まで伸ばしていくか、



過去の人たちにはとうてい及ぶまい。



不思議なことに



町外れの大きな道路沿いには今も昔も行楽施設がある。



街道沿いに大きなパ娯楽施設を見つけたなら



人の棲まう街は近い。



知恵という感慨で終わらせていい類のものではないだろうが



旅の雑感である。

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