野球は、戦火を乗り越えて

にゃっほ~\(^o^)/






今日でお盆休みも終わり、明日から仕事という方も多いはず。私の場合は14日だけお休みで明日の仕事が済めば、1日お休みという感じ。





ただ、雨模様というヤな感じな予報になってるのが気掛かりではありますが・・・・・・。






そんな中、家にいた時は朝から高校野球、


メジャーリーグ、そしてプロ野球と野球漬けという状況でした。15日はちょうど終戦記念日で、高校野球の行われた甲子園球場でも


黙祷が行われました。



高校野球も今年で、第一回の「全国中等学校



優勝野球大会」として始まってから節目の百年目。戦前の大日本帝国時代は、日本だけでなく占領下にあった、朝鮮半島や台湾。さらには、満州(現在の中国東北部)からも代表校が、海を越え甲子園へとやってきたのをご存知でしょうか?




中でも、4度甲子園に出場した嘉義(かぎ)農林出身の台湾人選手が呉昌征(ご・しょうせい)という選手で、その後1937年に巨人軍に

入団。終戦後は阪神の前身大阪タイガースに移籍し、投手との二刀流でノーヒットノーランも達成したとか。



1950年のセ・パ分裂の時には、毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテ)に渡り、1957年に現役を引退。41歳まで活躍したそうです。


彼の母校、嘉義農林にまつわる映画「KANO」


(ユニフォームにこの字がプリントされていた)が、去年日本と台湾の合作として制作されたりもしました。


現在でも、台湾では野球人気が根強く2年前の侍ジャパンの台湾遠征も大盛況だったほど。なが~いお付き合いが続いてほしいものです。



しかし、その一方で戦前活躍したスター選手も、戦場に駆り出されて行って帰らぬ人となった選手も・・。巨人軍の伝説の速球ピッチャー沢村栄治や、大阪タイガースの景浦將(まさる)投手らが戦地で、命を落としていったのです。







二度と、こんな時代が来ないことを願いつつ、あさってからの千葉ロッテの奮闘を・・・・



ぐっにゃーん(^o^)/




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