熊本大地震からまもなく1ヶ月になります。
今なお、多くの方が避難生活を余儀なくされています。しかし、仮設住宅を作る動きすら
ないまま食中毒が発生したり、熱中症やエコノミークラス症候群もあとを絶ちません。
政府の上から目線ぶりと塩対応に呆れはてる
ばかりですが、無理し過ぎないように被災者の皆さん乗りきっていきましょう。
さて、今回も熊本城にまつわる話題です。
昨日(11日)被害の様子が報道陣に公開された
ばかりですが、実は熊本の名付け親も加藤清正だったことを御存知だったでしょうか?
もともと、隈本城といって菊池氏の領土だったのが、1550年に大友宗麟によって滅ぼされ大友氏の領土になったのち、1580年代に島津家に奪われ1590年の豊臣秀吉による天下統一で、島津家が今の鹿児島県に封じ込められると今の熊本県を秀吉の2人の家臣に分け与えるです。隈本城を加藤清正に、宇土城をキリシタン大名で知られた小西行長に・・・・。
関ヶ原の戦いのあと、1606年にようやく完成した隈本城を加藤清正が、今の字に直したというわけなのです。しかし、13年後に今回と同じような大地震が発生して、八代市にあった麦島城が崩壊(築城したのは小西行長)したそうで、その近くに加藤清正の息子忠広が
1619年の地震の話は、発生直後のTBSの深夜の
ニュース番組で始めて知ったのですが、実は
8年前の1611年に三陸慶長地震が。1620年にも、広島と愛媛にまたがる大地震が発生と、
私が集めている「江戸三百藩」という分冊百科の中にも収められているので、そちらを参考に・・・・・・。
引き続き、熊本の現実から目を反らさずに見守っていきましょう。今や、総理大臣よりも
立派な?くまモンがきっと喜んでくれるはずです。
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