本当は、15日までに投稿したいと思っていた
のですが、前の日の猛暑日(米子市で37℃超えだった!!)で、我が家に帰ってから冷房に当たり過ぎたのが原因で、バテバテになってしまいギリギリの状態だったため、今日まで繰り越してしまいました。平にお許しを(>.<)
東京で「オスカープロモーション夏祭り」が行われた11日に米子市では、文化ホールで
「平和のための戦争展」が一日限定で行われ
仕事帰りに寄ってみました。沖縄県平和祈念資料館の所蔵写真、広島市や長崎市に投下された原爆に関するパネル展示、さらには旧日本軍が使用していた軍服や、戦前の教科書も
展示されていて、原爆のパネルを見て思わず
また、山陰地方でも終戦の日の直前に、列車がアメリカ軍の空襲を受けていたことを
ご存知だったでしょうか?
私自身も、何年か前のケーブルテレビ局のニュースで始めて知ることになった「大山口
列車空襲」(7月28日)という事件で、他にも
今の米子鬼太郎空港や陸上自衛隊米子駐屯地になっているあたりも、アメリカ軍の空襲を
受けていたというフィルムが去年、大分県の
私が30年前、小学五年生の時に鳥取県に引っ越してから中学校や、高校でも教わることのなかった真実。絶対に忘れないと固く誓ったとともに、広島市や長崎市に原爆が投下された日にちや時間を知らない子供が増えているという、残念なデータが公表されていることを思い出しました。
そればかりか、今の政府の沖縄イジメも悪らつですが、戦前でも今よりひどい政策があったという展示もありました。我那覇、具志堅、渡嘉敷・・・・と言った沖縄らしい名字を、
朝鮮人と同じように創氏改名させられていた
ことや、沖縄語を話してしまうと「方言札」
を首からかけられたりしたという、信じられないことが、戦前平気で行われていたのです。
ちなみに、国際法上では沖縄は今も占領状態にあるということを、私たちは覚えておく必要があります。
こんな世の中だからこそ、歴史を正しく学び後世に残して行きたいと思った次第です。
(3枚目の写真はさだまさしさんが、地方紙に
発表したコラムより)
もう、こんなことはあってはならないね。