Warsaw ghetto ワルシャワ・ゲットー

ワルシャワ市内をどう移動したのか覚えていない。
ユースであった好奇心の強そうな
銀縁のメガをした学生がツーリスト・マップに
しるしをしてくれたことしか。

それに従ってソ連が有効のしるし取り手作った巨大な文化センター
やそれに比べてごく小さい労働党本部を見た。
また青色の上っ張りをした係官のいる博物館も

でも彼には訪れたいところが残っていた。

Pawiekという名のコンクリート打ちの建物
普通の敷石の道端にひっそりとした
半地下の博物館がそこだった。
入口前の木には犠牲者のプレートが張られていた。
その足元にはいくつかの花束が

ここにたどり着いたのは
親切な婦人が彼のたどたどしいドイツ語を
理解してくれたから
毛皮の襟巻にベレー帽の婦人はここまで案内してくれた

アウシュビッツの悲劇にはその予兆があり
人間の分裂があった。
ゲットーと呼ばれる隔離地区にユダヤ人を
押し込めたナチスに協力したポーラン人がたくさんいた。

昼光ランプに照らされた20m程の奥行きの
壁には犠牲者の写真とプロフィールがあった。
人の名前がこれほど荘厳なものか
記憶をつないでくれるものかと思った。

アウシュビッツの髪の毛や靴の塊は
人間を想起させるにはかなしすぎた。
売れ残った古着屋や燃やす前の
ゴミ処理場を連想させてしまう。

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