肺ガンの母[おばあちゃん] 第10話

母が入院して、
私の生活は、過酷なものとなった。

仕事から帰ると、
夕食作って、食べて、
お風呂に入ると、病院に向かうか
東京の家に泊まり、
朝、母の朝食時間までに病院に行く。

そして、
1日付き添って、病室に泊まって、
朝帰りで、仕事に向かう。
私の空いている時間は、すべて母のために使った。

私だけではなく、旦那の妹もそうだった。
旦那も、土or日曜日には病院に行った。
娘も、付き添いで泊まってくれた。
息子達も行ってくれた。

みんなで、母を一人にしないように協力し合った。

母は、今まで、泣き言を言う人ではなかったが、一人を怖がった。

私が、近くのスパを見つけて、お風呂に入っている時間にも、電話をよこす。

ちょっと買い物に出ただけで、電話をよこす。

母…パセリちゃん、まだ帰れないの?

不安でいっぱいだったんだと思う。

でも、私は、母が電話をかけてくると、ホッとした。
まだ、電話がかけられる。良かった。

なぜなら、
出かける時は、ナースコールボタンを確認させていた。

私…何かあったら、これ押してね。
お母さん、これだよ。

それでも、心配な状態だった。


母の症状は、日に日に、どんどん悪化していったのだ。

トイレに一人で行っていたのが、ポータブルトイレとなり、おむつになった。

相変わらず、血痰の吸引が、1日に何回も行われた。

先生から、片方の肺が潰れた事を知らされた。

痰が詰まっただけで、命を落とす状態にある事。
もう、いつ逝ってもおかしくない状態である事。
告げられた。

日に日に、言葉に力がなくなっていった。

母の口元に、耳を近づけないと聞こえないような、か細い声で、

母…パセリちゃん、カギ落としたから、取ってちょうだい。

ビンのふたが落ちたの。

壁掛け時計の音が、カチカチうるさいわねぇ。

カギも、ビンのふたもない。
まして、壁掛け時計なんて掛かってもいない。
幻聴。

私と妹は、日記を書いていた。
娘も書いてくれた。
食事、吸引回数、薬が変わった事。
母の様子や、先生の話。

母の事は、それを読めばわかるようにしていた。

薬も、だんだん強いものになっていき、
そのうち、錠剤を飲む事もできなくなっていった。

オプソという液状の薬に変わった。
これを飲むと、30分もしないうちに寝てしまう。

先生が言うのに、寝てしまうのが、一番楽なんだと…。

オプソの薬の効き目が切れると、腰の痛みを訴える。

痛みを訴えるたびに、オプソを使う時間の間隔が短くなっていった。

初めは、夜寝る前だけだったのが、2回に。
そして、3回に。
最後は4時間おきにまでになった。

母は、そんなになっても、食事だけは、しっかり食べていた。

母…食べないと、お家に帰れない。

身体はフラフラ、焦点も定まらない。
手に持ったフォークは、やたら、食べ物を刺しては口に運んでいる。

モウロウとしていたので、たぶん、
母は、何を食べ、どんな味なのか、分かる事なく、
ただ、口に食べ物を運んでいたのだと思う。
取り除いた魚の皮まで口に運んで、食べちゃってた。

母…食べないと、お家に帰れないから。

最後まで、呪文のように言っていた。


お母さん、私ね…
いっぱいいっぱい後悔しちゃったよ。
仕事変えないで、早朝パートだけやめて、
もっともっと、お母さんのそばにいてあげれば良かったよ。

お母さん、寂しくて、急に悪化しちゃったんじゃないのかなぁ~。

東京は、方角が悪いって言われていたのに、かかりつけの東京の病院に入院させちゃった。
栃木の病院だったら、違ったのかなぁ~。

気にして、
占い師さんに、電話で聞いたら「何で、東京なんかに連れて行ったんだ。栃木の病院に移動出来ないのか」って、言われちゃった。
運命の糸に引っ張られちゃうものだから、仕方ない。って、慰めてもらったけどさ…。

入院したら、良くなるものでしょう?
何で、日に日に、どんどん悪くなっていっちゃうの?
おかしいでしょう!?

日に日に、症状が酷くなっていって、辛いね。
お母さん
つづく

コメント

のびたさん、
ありがとうございますほっとした顔

母は、きっと、
幸せな最後だったですよね。
私も、そう、信じますわーい(嬉しい顔)

パセリ 2011年08月26日

パセリさん

実の娘以上にお母様のことを愛していたのが、ひしひしと感じます

お母様もきっと幸せな最後だったと思います

夏も終わり秋がやってきます。あまり責めないでくださいね涙

有り体なコメントですいませんが、想いは十分お母様に伝わったと感じます涙

のびた 2011年08月25日

のりさん、
ありがとうございますほっとした顔

先生も、看護士さんも、みんな、
母の実娘より、私の方が親子だと勘違いしておりました。

ご近所を歩いていても、
私の実母だと、みんなに思われました。

私も、
性格もタイプも、母によく似てると、自分で思っています。
母とは、気が合ったんですね(笑)

パセリ 2011年08月25日

お母さんは本当にパセリさんが好きだったんだね。
本当に栃木に帰りたかったんですね

ここ何日間は日記は読んでいたんですが
コメントがつらいです

のり 2011年08月25日

akiさん、
ありがとうございまするんるん

母の頑張りは、本当に、涙ぐましいものがありました。
後が、どんな事になろうと、連れて帰ってしまおうかと、思った位です。

よく頑張ったね。
その一言に尽きますねほっとした顔

パセリ 2011年08月25日

人間って、万事を尽くしても、振り返ってみると、『もっといろいろ
やってあげればよかった』と思ったりします。

でもそれは、心身に余裕がある今だからこそ言えるのであって、
その時には最善を尽くしたのだと信じましょう。

投薬による副作用は想像を絶しますから、お母様、家に帰りたい
一心だったんでしょうね。

お母さん、よく頑張りました、って声をかけて差し上げたいです。

想い出は優しく、ファイトです!!!

2011年08月25日

HAMUさん
あたたかいお言葉、ありがとうございます。
そう言っていただけると、報われます。
母は、幸せに逝けたと信じています。

パセリ 2011年08月25日

ハーフさん、
母は、相当、ボケてきていて、
言われた事は、すく忘れちゃうのに、
「食べないと、帰れない」は、しっかり、インプットされ、
頑張って食べていたんです。
そんな姿に、涙が出ました。
連れて帰りたい。
って思いながら、いつも、一人で帰っていましたが
母を病院に置いたまま、一人帰るのは辛かったです。

パセリ 2011年08月25日

芽生ママさん、
次の日仕事だから、夜寝るまでいて、帰ろうとすると、
不思議と目を醒まして、
「帰っちゃうの?」
って、言うんです。

なんか、帰れなくなっちゃって…。

重病の人ばかりの病棟だったので、
夜中、痰の吸入をする音や、
苦しがっている声、
わめき声、
ナースが、バタバタ走り回っている音が響いて、寝れなかったです。

病院の独特な雰囲気、イヤなものですよね。

お家がいいですね手(チョキ)

パセリ 2011年08月25日

パセリさん

十分お母様に 尽くされたと 思いますよ

お母様も パセリさん 家族の皆さん の事
好くしてくれたって
絶対思ってます

自分をあまり 攻めないで ください

HAMU 2011年08月25日

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