平清盛24

備前国 ろうごくの壁にもたれ足を投げ出して、座る藤原成親は痩せ衰え、やつれれ果てた姿。やがて床に崩れ落ちる成親。安元3年7月9日配流先の備前国にて成親は世を去った。食を与えられなかった事による餓死であった。六波羅の夜 沈みがちな表情の平重盛 清盛はそなたの望み通り、流罪とした。流罪の地でどうなろうとわしの知った事ではない。重盛は私はこれまで、父上をお支えしてきたつもりです。それは父上が修羅の道を突き進んでも作りたい国というものを私も見てみたい思うたゆえにござります。されど、今もって、父上の思い描いておられる国の姿、その形が私に見えませぬ。父上は太政大臣まで登り、朝廷の要職は全て我ら一門が握っております。厳島の社を新しくし、音戸の瀬戸を開削し、大輪田泊を修復して、宋との交易を行い、宋銭を国中にまで巡らせました。この上何が欠けていると仰せになりますか。清盛は重盛、わしはさような話をしに上洛したのではない。これより洛中洛外の寺社に申しつけ、中宮様に皇子が授かるよう祈願いたす。早うそなたも働け。

コメント

不適切なコメントを通報する

最新ブログ

平清盛148
平清盛147
平清盛146
平清盛145